「紀年論」2018.12.04

 

 倉西祐子氏の『日本書紀の真実』から、彼女の「紀年論」の定義を抜粋すると、「『書紀』の編年の構造を解明し、史実に基づいた紀年と実年代との関係を再構築していこうとする学問領域の事です。」と言われるが、『日本書紀』の「紀年」を対象とする限り、この時点で学問として成り立ちにくい。なぜなら、『日本書紀』の暦日は架空の長暦による後付であり、少なくとも、紀年の概念が乏しい雄略以前に(「古事記」の記述は、天皇の事跡に年月日は付されない)、数百年の後から、そこに暦日を付けていくと言うことは、デマに等しい年紀となる。それに付随する“天皇年紀”も同様である。

  彼女は「応神紀三年条」に書かれる百済の「阿華王」の即位記事から(「阿華王」の即位は「三国史記」等から西暦392年)、<「応神天皇三年」=「阿華王即位」=392年>という関係を想定するが、「阿華王即位」や「392年」が正しくとも、「応神天皇三年」の「三年」がデマなら、この等式は成り立たない。「記紀」の記事では、応神天皇の生誕は「神功皇后」が朝鮮半島へ出兵した年と言う。つまり、好太王碑の辛卯年の331年にあたる。もし、この辛卯年を通説に従って391年とすると、応神天皇即位元年は「胎内即位」となり、392年は、応神天皇が二歳の年となってしまう。『日本書記』の暦日や天皇年紀による「紀年論」が、如何に虚しいものかおわかりになろう。

  つでに、倉西裕子氏は、その著『聖徳太子と法隆寺の謎』(平凡社)の中で、長屋王家邸出土木簡に記載される「若翁」を、東野治之氏の説に従い「ワカタフリ」と読んでいるが、「若翁」とは「若公」のことであり、「わかぎみ」と読むのが妥当であろう。

  *翁:「按俗言老翁者、假翁爲公也。」(説文段注)

  *「有一老公(おきな)與老婆(おみな)」(『日本書紀』神代上第八段本文)

  また彼女は同書の中で、この称号が付くのが、「いずれも長屋王の幼年の子供達ある」と言われるが、そうであれば尚のこと「わかぎみ(若公)」であろう。

 

<補足1> 「長屋王家木簡の“若翁”と“たふれぬ”について」

 「翁」に対する倭訓の「たふれぬ」を言い出したのは、東野治之氏だと思うが、彼は「新日本古典文学大系」(岩波書店)の月報319893月・代2巻附録)で、「『字鏡集』には「翁」にタフレスの訓が見える。」と言い、 『長屋王家木簡の研究』(塙書店・1996年)では、「永正本の『字鏡抄』には「翁」に「タフレヌ」と言う訓が存する・・・」と、微妙に内容を修正しながらも主張した。これを承けて、森公彰氏は、『長屋王家木簡の基礎研究』(吉川弘文館・2000年)で、 「『字鏡抄』の「翁」の訓「タフレヌ」は別の文字に対する訓を誤って記したものである可能性があるとの批判もあり、また木簡に「智 珍努若翁・・・智努若王」との習書が見えるので、「若翁」は「若王」と同じであるとする説も呈されている。しかし『音訓立篇』天下第二十九羽篇にも「翁」訓の一つに「タフレヌ」があり、また「王」をことさらに画数の多い「翁」と書く理由は不明であるので・・・」と煮え切らない主張をなさる。そもそも「翁」の訓の「たふれぬ」の意味は「倒れる」であろう。

   *「躃地而臥。【注】躃:太布禮奴(タフレヌ・倒れぬ)」

   (日本霊異記中巻第十)

  *「倒れる:立っている物が、自分の力でささえ切れなくなって横になる。ころぶ。」

   (学研国語大辞典)

 この「たふれぬ」は、恐らく「翁」の高齢者イメージから出た「引伸義」であり、長屋王家邸出土木簡の「若翁」の倭訓には相応しくない。幼児の死亡率が高かった古代で、子の無事な成長を願い、「公(きみ)」や「王(きみ)」の代わりに、長寿のイメージがある「翁」の文字を借用し、「若翁」と書いて「わかぎみ」と訓じたものであろう。

 

<補足2>「ワカミタフリ」(『隋書・倭國傳』)について

 東野治之氏や倉西裕子氏が主張したいのは、「若翁」ではなく、「利歌彌多弗利」(隋書・倭國傳)のこの解釈であろう。「利」については、倭語に「ラ行」で始まる言葉がないので、倭語から「利」は「和」の転写ミスであると校勘できる。よって、元文は「和歌彌多弗利」であろう。お二人はこれを中世頃の「翁」の訓である「タフレヌ(倒れぬ)」を当てて、「ワカ・タフリ」と読みたいようだが、これは原文を無視した解釈と言える(「若く倒れ」では意味不明ともなる)。当該の言葉は七世紀初頭の漢語や倭語の古語であり、上代特殊仮名遣いが残る奈良朝以前の文献内の言葉を根拠にして、意味を推定する必要があるであろう。一番近い当時の言葉は、「わか・みた(ま)・ふり」であると思われる。これを当時の漢字に直すと、「若皇霊・振(わかみたま・ふり)」となる。

 *(ま)は私的推定補足。

  *「皇霊之威(傍訓:みたま・の・ふゆ)」(景行天皇紀)

 *阿我農斯能  “美多麻”々々比弖  波流佐良婆  奈良能美夜故尓  佐宜多麻波祢(万葉歌882

 (我が主の “みたま” 賜ひて  春さらば 奈良の都に 召上げたまはね)

 *ふり:振り、振る舞い。身ぶり。ようす。姿。格好。(学研古語辞典)

 *阿麻社迦留  比奈尓伊都等世  周麻比都々  美夜故能提“夫利”  和周良延尓家利(万葉歌880

 (天離る 鄙に五年 住まひつつ 都のて“ふり” 忘らえにけり)

 現代では「霊」と言うと殆どが肉体を出て二度と戻らない「死霊」を意味するが、古代ではそうではないであろう。

  *「霊魂ハ、タマ又タマシヒト云フ。霊魂ハ、不滅ト信ゼラレ、其人体ニ存在スル間ヲ生ト云ヒ、其出離シタル後ヲ死ト云フ。因テ又霊魂ニ、生霊、死霊ノ別アリ。」(「古事類苑」・人部・生命)

「日本律令」に、中国のような先祖の死霊を祭る「廟(みたまや)」の概念が無かったように、古代日本では「死霊」を祭る慣習はあまり見られない。