「倭面」について 2012/ 4/ 7 2021/10/20補訂)

岩波文庫の「後漢書倭伝」で、『後漢書』の「安帝永初元年、倭國王帥升等・・・」の部分に次のような注釈を載せる。

『翰苑』所引の『後漢書』には「倭面上国王帥升」とあり、唐類函・変塞部倭国の条所引の『通典』には、「倭面土地王帥升」とあり、北宋版『通典』には、「倭面土国王師升」とあり、『釈日本紀』開題には「倭面国」とある。「倭面土(ヤマト)」説は内藤博士であり、周鳳や松下見林は倭国王師升を景行(大足彦忍代別)天皇にあてている。白鳥博士は九州のイト(回土―怡土―伊都)説であり、志田氏は鯨面文身よりとする委面説をとっている。

(以上)

上記のように「倭面」についていろいろな説をあげているが、個人的には、これはいたってシンプルなミスによるものと考える。次にその私見を述べる。

「倭面」に関する部分は、著者の范曄が、『漢書』の「倭人」記事に対する如淳や臣瓚の註釈を見誤って、書いたうっかりミスと思える。だから後世には訂正をうけ、現在通行本の『後漢書』には、「倭面・・」の記載は無く、ほとんど「倭国」のみである。ミスの原因となった『漢書』の「本文」とその問題の三つの「註釈」は、次の通りである。

本文

樂浪海中有倭人」<樂浪海中(の島)に倭人がいる>

【樂浪海中】:朝鮮半島周辺の海上。

註釈文

1)「(魏)如淳曰、如墨委面。帶方東南萬里。」 

<如淳曰く;(倭人の顔は)墨が面(つら)にすてられた如し(入れ墨で真 っ黒)。

(倭人の国々は)帯方郡の東南一萬里にある。>

【委】:すてる。「委;棄也」(廣韻)。

【帶方】:朝鮮半島にあった帯方郡。

2)「(晋)臣瓚曰、倭是國名、不謂用墨。故謂之委也。」

<臣瓚曰く;倭とは国名で、用墨と言わない。ふるくは、之(倭)を委と言った。>

 【用墨】:入れ墨と解釈した。「墨;黥也。先刻其面,以墨窒之<鯨(入れ墨)なり。先ずその面(つら)を刻み、墨でこれ(傷)をふさぐ>」(「周禮·司刑」の注)

【故】:ふるい。「温“故”而知新」(論語)

3)「(唐)師古曰、如淳云、如墨委面。蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反。」

  <師古曰く;如淳は「如墨委面」と言うが、おそらく音は委の字のみで、この音は正しくない。倭の音は[一戈]反。>

  【一戈反】:漢字二字を使った反切で、一字の漢字音を示す。

ここでの魏の如淳(ジュンニョ)の注釈文は、「倭」の説明ではなく、倭人の風貌について述べており、その「ツラ(面)」が入れ墨で真っ黒い事を言っているだけであろう。次の「在帶方東南萬里」は、倭人のいる場所を示している。しかし、晋の臣瓚(シンサン)は、「如墨委面」を「倭」の注釈と勘違いして、「倭是國名・・・」と、書いてしまった。そもそも如淳の注釈は「倭人」に対するものである事を見落としている。後の唐の時代に『漢書』に注釈を付けた顔師古も同じ間違いを犯して、「倭」の音韻の注釈を行っている。

西嶋定生氏著『倭国の出現-東アジア世界のなかの日本』の「第四章『漢書』地理志倭人条注の「如墨委面」について」を読んでも釈然としない。彼は、如淳の「如墨委面」の「委」を、「堆積」の「積む」とするが、これでは場所が顔だけにちょっと違和感をおぼえる。臣瓚の注釈「不謂用墨。故謂之委也。」の解釈にいたっては、「用墨の故に之(倭)を委と謂うは謂(あた)らざるなり」と訓まれたが、さらに意味不明である。古い時代の「注」は簡潔な語句で記されることが多く、あまり複雑にしない方が良いと思う。